最初のティーショット
はじめての18ホール
朝の六時半。第一ティーの芝はまだ夜露を含んでいて、踏むたびに靴の先が冷たく濡れた。僕はその冷たさだけを、やけにはっきりと覚えている。手のなかのドライバーが、自分の手じゃないみたいに重かった。
クラブを握ってから、ちょうど三ヶ月。会社の先輩に「人数が足りないから」と半ば強引に誘われて、僕は人生で初めてのコースに立っていた。練習場のマットの上では、それなりに当たるようになっていた。でも、足元に広がる本物の芝と、その先まで吸い込まれるように続くフェアウェイを見た瞬間、練習場での自信は朝霧みたいにどこかへ消えてしまった。
同じ組には、僕の知らない三人がいた。みんな父より年上に見えた。受付で名前を呼ばれたとき、その三人がにこやかに会釈してくれたけれど、僕は緊張のあまり、声がうまく出なかった。
「若いの、最初に打ってええよ」
白い口ひげの男性が、ティーグラウンドの一番手前を手のひらで示した。年長者から打つのがマナーだと先輩に教わっていたから、僕は驚いて首を振った。けれど三人は顔を見合わせて笑い、「ええんよ、デビューの一打は主役のもんや」と譲らなかった。
仕方なく、僕はティーにボールを置いた。指先が震えて、小さなプラスチックのピンになかなか刺さらない。ようやく構えて、フェアウェイの真ん中を見る。心臓が、耳のすぐ後ろで鳴っているみたいだった。
頭が真っ白になると、人は不思議と、いちばん最初に覚えたことだけを思い出す。
——力を抜け。練習場で先輩に百回は言われた言葉だ。僕は息をひとつ吐いて、ゆっくりとクラブを上げた。そして、振った。
カツン、という頼りない音がした。ボールは低いまま右へ飛び出し、五十ヤードほど先の、ラフのへりでころりと止まった。フェアウェイにすら、届いていない。
顔から火が出そうだった。「すみません」と消え入る声で言った僕に、口ひげの男性は大きくうなずいた。
「ええ球や。ちゃんと前に飛んどる。前に飛んだら、それでええんよ」
そこからの十八ホールを、僕は一生忘れないと思う。
スコアは、数えるのが嫌になるほど叩いた。バンカーでは三回も砂を打ち、池には新品のボールを二つ献上した。グリーンの上では、カップの横を行ったり来たりして、結局四回も転がした。
それでも、三人は一度も僕を急かさなかった。空振りすれば「次、次」と笑い、いい当たりが出れば自分のことのように「おお!」と声を上げた。彼らは長年この丘に通う仲間どうしで、僕という新入りを、まるで昔からそうだったみたいに輪の中に入れてくれた。
昼の食堂で、僕は思いきって聞いてみた。スコアも出ないのに、どうしてゴルフをそんなに長く続けられるんですか、と。
白い口ひげの男性は、味噌汁の椀を置いて、窓の外の芝を見た。
「スコアはな、五十年やっても、思うようにはならんよ。せやけど、こうやって同じ景色を、誰かと並んで歩けるやろ。それがええんや。ゴルフは、点取りゲームに見えて、ほんまは“一緒に歩く”遊びなんよ」
最終十八番。ロングホールの長いフェアウェイの先に、クラブハウスの三角屋根が見えていた。
僕の第二打は、また右へ。第三打はチョロ。けれど四打目で、生まれて初めて、クラブの芯にボールが乗る感覚があった。手のひらに、何の衝撃も残らない。ただ、ボールだけがまっすぐ、低く、フェアウェイを駆けていった。
三人が、いっせいに歓声を上げた。口ひげの男性は僕の肩を、痛いくらいに叩いた。たった一球、たった百三十ヤード。それでも僕は、朝の自分とは違う場所に立っている気がした。
あの冷たかった露は、もうとっくに乾いていた。
クラブハウスの受付で、僕は来月の競技会の申込用紙を一枚もらった。スコアの欄は、きっとまた数字でいっぱいになる。それでもいい。次は、僕がいちばん最初に「お先にどうぞ」と言える側になりたい。
震えていた手は、もう震えていなかった。
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