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ヒューマンドラマ · TALE 01

霧の十八番

最後のラウンド

丘の上のコースには、朝のいちばん早い時間にだけ、白い霧が降りる。四十年それを見てきた清水さんは、今日もまた、その霧のなかに立っていた。ただし今日は、最後の一日だった。

清水さんは、このゴルフ場でいちばん古いキャディだった。二十二で雇われ、六十二になった今日まで、数えきれないバッグを担いできた。プロの卵も、引退した社長も、初めてクラブを握る新婚の夫婦も。みんなこの丘を、清水さんと一緒に歩いていった。

支配人には、もう何度も引き止められた。それでも、膝がもう昔のようには言うことを聞かない。今朝のこの一ラウンドで、清水さんはキャディを辞めることに決めていた。

「本日担当します、清水です」

朝いちばんの組は、たった一人の若い客だった。二十歳そこそこに見える青年は、緊張した面持ちで、真新しいキャディバッグを脇に置いていた。グリップにはまだ、ビニールの値札の輪っかが残っていた。

その立ち姿を見て、清水さんは思わず息を呑んだ。痩せた肩。落ち着かない指先。借り物のように大きく見えるドライバー。——四十年前の、自分そっくりだったのだ。

聞けば青年は、亡くなった祖父のクラブを受け継いだのだという。祖父は生前、よくこの丘でプレーしていた。「いつか一緒に回ろう」と言われていたのに、その約束は果たせないまま、春に逝ってしまった。

「だから、せめて。祖父が見ていた景色を、僕も一度、見てみたくて」

清水さんは黙ってうなずき、青年のバッグを肩にかけた。古い革は手によく馴染んで、まるで持ち主の重みを覚えているようだった。

霧のなかのラウンドは、ゆっくりと進んだ。

青年のショットは、お世辞にも上手とは言えなかった。けれど清水さんは、四十年で培った勘で、霧の向こうのピンまでの距離を、風の匂いを、グリーンの傾きを、ひとつひとつ丁寧に伝えた。

「七番アイアン。少し手前を狙いましょう。ここは、見た目より速い」

言われた通りに打つと、不思議とボールはピンに寄っていく。青年の表情が、ホールを重ねるごとに、少しずつほどけていった。それは清水さんが、四十年のあいだ何百回となく見てきた、あの表情だった。ゴルフを、好きになっていく顔だ。

九番ホールの松の下で、青年がぽつりと言った。「祖父も、清水さんに担いでもらったこと、あるんでしょうか」

清水さんは、少し考えてから答えた。「さあ、どうでしょう。四十年もいると、お顔は忘れても、不思議とね、コースのほうが覚えているんです。あなたのおじいさまも、きっとこの松の下を、何度も通られた」

そして、最終十八番。

清水さんにとって、四十年のキャディ人生で最後に上る、長いフェアウェイだった。朝の霧は、ちょうどこのホールで晴れることが多い。今日も、二人が歩を進めるにつれて、白い帳がゆっくりと持ち上がっていった。

霧が晴れると、丘の上から、街がすべて見渡せた。朝日に光る川。小さな家々の屋根。その向こうにかすむ海。四十年、清水さんが何より好きだった景色が、今日もそこにあった。

青年は、その場に立ち尽くしていた。「……これだ」と、震える声で言った。「祖父が、僕に見せたかったの、きっとこれです」

清水さんは、青年の祖父のドライバーを、そっと手渡した。「最後の一打です。おじいさまの分も、思いきり」

青年は深く息を吸い、振りかぶった。霧の名残のなかへ、白いボールがまっすぐ飛んでいく。それは、その日いちばんの当たりだった。フェアウェイの真ん中に、ぽとりと落ちる。

清水さんは、四十年で初めて、客のショットを見ながら、目の奥が熱くなるのを感じた。

ホールアウトのあと、青年は深々と頭を下げた。「ありがとうございました。……また、来てもいいですか」

清水さんは、もう自分はいないことを言いかけて、やめた。代わりに、こう言った。

「ええ、ぜひ。この丘は、逃げも隠れもしません。あなたが来るたびに、おじいさまの分まで、ちゃんと景色を見せてくれますよ」

青年が駐車場へ消えたあと、清水さんは一人、十八番のグリーンを振り返った。霧はすっかり晴れて、丘は朝の光に満ちていた。四十年。長いようで、たった一ラウンドのように過ぎた歳月だった。

「お疲れさま」と、清水さんは丘に向かって、小さく言った。誰に言ったのか、自分でもよく分からなかった。

FIN

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